人生の意味をみつける。 その2


「人生の意味」なんて信仰の世界

「人生の意味」という言葉は、自己啓発などの書籍で、ときどき目にします。人は、どうして生まれてくるのか。生まれてくること、生きていくことに、何らかの意味・理由・目的はあるのか。「人生の意味」という言葉は、こうした意味で使われていると思います。

「人生の意味」などない。「人生の意味」とは、金を稼ぐこと。「人生の意味」とは、家族や友人だ。いろいろな考え方があります。あまり考えないですけど(笑)。ただ、これが正解だと思っても、それが正しいことを証明する方法はありません。ですから、何を言っても、信仰の世界です。自分がそうだと思っているだけ、ということになります。

人生の意味とは「愛と奉仕」

さて、以上(「自分がそう思っているだけ」)を前提として、人生の目的・意味について考えてみると、私は、おそらく、それはあると思います。人生は登山のようで、誰もが頂上(人生の意味・目的)を目指して登っていくのだと思います。でも、頂上に向かっているという自覚はなく、何となくこっちの方向かなくらいかもしれません。疲れてしまって座り込んでしまったり、別の方向に行ってしまうことも普通ではないでしょうか。そして、ほとんどすべての人が、頂上にはたどり着けない。そんな感じがしています。

では、頂上には何があるのでしょうか。メイヨー医科大学のアミット・スード博士は、「人生の意味」とは、「愛と奉仕」だといいます。ただ、私は日本人ということもあってか、「愛」という言葉は、漠然としていて、よく分かりません。そこで私は、「愛」とは「コンパッション(思いやり・慈しみ)」のことと置き換えています。つまり私にとって、コンパッションが「人生の意味・目的」なのです。ちょっと高尚すぎませんか(笑)。

人は正しいことは「したくない」と感じる

こう書くと、私が道徳的存在のように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。私たちには、原始的な衝動(食べる・自分の身を守る・子孫を残す)に基づく部分が厳然としてあります。そういう動物的な部分がありますから、自分が道徳的存在だと思うことには、大きな落とし穴があるのではないでしょうか。人間きれいごとではすみません(笑)。

スタンフォード大学のケリー・マクゴニカル(心理学者)によると、人は何かよいことをすると、自分がよい存在だと誤解して、自分の非合理的な衝動を信用しがちになるそうです。そして、多くの場合、悪いことをしたってかまわないと思ってしまう(いわゆる「モラル・ライセンシング」)。

「私たちは自分が清く正しくあろうとしていると思い、自分の行動基準は悪いことや恥ずべきことはしないことだと信じています。しかし、冗談にもほどがあります。私たちの最大の行動基準は、欲しいものを手に入れ、欲しくないものは避けることです」。

こうした部分がありますから、「愛」とか「コンパッション」などと言い出すと、偽善だと感じてしまいます。ある行為を道徳的に正しいことだと位置づけると、反発心が湧いてきます。

自分の利益になるからする

しかし一方で、以前ご紹介したように、人間には「コンパッション(思いやり・慈しみ)」の本能があるそうです(動物にもあるそうです)。また、「コンパッション」には数多くの効果がありました。生産性が上がり、出世が早くなり、持続的幸福感が得られるのでした。そして、幸福になれば成功に近づくといいます。

ですから、正しいことだからではなく、自分の利益になるから、あるいは自分の目標に近づけるから「愛(あるいはコンパッション)」を実践する。そう考えるのが、いいのではないでしょうか。純粋無垢な愛は理想ですが、なかなか難しそうです。それができるのは、イエス・キリストか、マザーテレサ級の人だけではないかと思うのですが、どうでしょうか。

前置きが長くなってしまいました。ここからは、アミット・スード博士の「The Mayo Clinic Handbook for Happiness」からご紹介させていただきます。

私は何者なのか

まず、短い文で、自分を紹介してみてください。家族、仕事、社会活動などといった観点から書いてみましょう。一例として、私についてやってみますね。

「私の家族は、母と私です。何年か前に会社を辞め、今は翻訳の仕事をしています。ボランティアなどの社会活動は特にしていませんが、これから読書会、セミナー、コーチングなどをしてコミュニティを作れたらいいなと思っています」。

アミット・スード博士によると、年齢、人種、性別、国家、宗教などあらゆるものを超えて、私たちは「奉仕と愛」のために働く者だそうです。自分の存在や自分の職業に関する詳細は「手段」であって、奉仕と愛が「目的」。

たとえば、私の例でいえば、子の立場から、あるいは、コミュニティの一員として「愛と奉仕」を実践する、ということになります。よかったら、上の「私は何者なのか」で書いた自己紹介文を参考にして、自分に当てはめて考えてみてくださいね。

どうして私はここにいるのか

私たちは複数の人間関係をもち、優先順位も絶えず変化しています。たとえば、あなたは、友人に対して、意味・意義があることを何かしていますか。あるいは、してあげたいと思っていますか。以下の人たちについて、していること、または、してあげたいことを書き出してみてください。

①愛する人に対して。②友人に対して。③隣人に対して。④同僚に対して。⑤顧客に対して。⑥その他の人に対して。

していること・してあげたいことが、いろいろ出てきたのではないでしょうか。これらを上の「私は何者なのか」でしたように、一つにまとめることができますか。してあげたいことについて、何か共通点がありますか。「どうして私は、ここにいるのでしょうか」。

簡単な方法が一つあります。あなたがここにいるのは、来たときよりも、その場所を少しだけより幸せな場所にするため、より思いやりのある場所にするためです。小さな世界の片隅から公認を受けて、幸福請負人となったと考えてみてください。

世界を大きなキャンバスだと考えてみましょう。あなたには、小さな片隅を塗る役割が与えられました。筆と絵具もあります。できるだけかわいい壁画を描くように努力してみてください。あなたの作品が他の人の士気を高めるように、できるかぎり上手に世界を描いてみてください。この目的があれば、毎日がよいものになることは間違いありません。

感想

今日は、ここまでになってしまいました。こうして書くのは(訳すのは)簡単ですが、実践はなかなか難しいです。実践することが大切ですね。上記した「モラル・ライセンシング」効果により、書いたり読んだりすると、それだけでいいことをしたような気になって、実践が疎かに(あるいは、全くしなく)なるそうです。

参考:Amit Sood, M.D. 「The Mayo Clinic Handbook for Happiness」


hidenorin
翻訳者。早稲田大学商学部卒業。名城大学大学院法務研究科(法学既修者コース)2016年修了。 全国珠算教育連盟珠算検定試験1級。TOEIC940。 趣味は読書、水泳、写真撮影です。

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