アクセプタンス(現状をそのまま受容すること)とは。 その2


報復の無意味さ

どうしたら、現状をそのまま受容できるか。その2回目です。

狩猟採集民の時代には、報復するのが当然だったそうです。報復しないと、さらに攻撃されたり、家畜を盗まれたりするからです。ひどいことをされて許すのは、弱さの証。私たちはその傾向を受け継いでいるので、報復してやろうと考えると、脳の報酬領域が活性化するそうです。

でも、時代は変わって、許しの持つ意味は、今では大きくなっているといいます。その一つには、現代では、他者を傷つける行為が、物理的なものではなく、精神的・感情的なものに変わってきているから。昔は、傷つけたり・殺したりといった物理的な手段が多く、報復しないと、自分の生存が脅かされました。許していたら、自分が殺されてしまうのです。

でも、今は、そのようなことは、非常に例外的です。報復は報復を呼びます。この点で、報復はリスクのある行為です。

怒りをため込むと、ガンや心臓病といった病気になる可能性がより増す。

怒りをため込んだり、それによるストレスによって、ガンや心臓病といった病気になる可能性がより高くなるといいます。つまり、昔と違って、今は許すことが自分の生存につながるのだそうです。

どうしたら受容すること・許すことができるか

では、どうしたらアクセプタンス(受容)や許しが可能になるのでしょうか。ひどいことをされたり、言われたりすると、腹が立ちますよね。客観的に相手が悪いと思ってしまうことも多いです。

①人間は不完全な存在であることを理解する

たしかに、現実に相手が悪いことも多いのではないでしょうか。前回も投稿したように、もともと人間には、非合理的・本能的な部分があり、考えることも偏向していて正しくない場合も多い。でも、これは相手だけではなく、自分についても同じなんですよね。

研究によると、私たちは、目に見える物をそのまま見るのではなく、そこには脳のフィルターがかかっているそうです。つまり、脳は目に対して、「これが見たい」と自分が見たいものを指定する。そして、目がその指定に従うと、脳は目に映ったものを正しいと考える。

つまり、私たちは、あらゆる可能性の中から、あらかじめ持っている自分の信念に合致するものを選び出すのです。そして、その選んだものだけを見、聞き、正しいと考える。つまり、物事をありのままに見ず、一面だけを見ている。偏向している(バイアスがかかっている)のです。

①人間は不完全な存在であることを理解する

そして、私たちのほとんどが、自分が偏向していることに気づいていないのだそうです。自分に盲点があることを忘れ、自分が正しいと思っている。自分が真実だと思っていることは、完全な真実の一側面にすぎない。それを分かっているのは、あくまで少数だといいます。

たとえば、富士山を見る場合を考えてみます。富士山も、静岡県側から見た場合と、山梨県側から見た場合とでは、違ったように見えます。たとえば、静岡県側から見ると、宝永大噴火の跡がはっきりと見えますが、山梨県側からは見えません。印象がかなり違うんです。でも、いま目の前に見える富士山は、富士山の一側面にすぎません。違う姿の富士山もあるわけです。

争いが生じるのは、両方が自分にとっての真実を守ろうとしたとき。自分にとっての真実を守ろうとするのは、上記のプロセスをお互いが理解していないからです。

「自分が正しいと思うことは、真実の一側面にすぎないかもしれない。必ずしも完全な真実ではない」。このことを理解していれば、争いは回避できます。「あなたが間違っていて、私が正しい」ではなく、「両方とも正しい」と考えることができるからです。

研究によると、肯定的なものを探せば、より肯定的なものが見つかるようになるそうです。その結果、よりポジティブな情緒、よりよい社会的なつながりを育てられるといいます。物事のよい面を見るようにしたいですね。

②悪い出来事に意味を見出す

たとえば、困難で複雑なプロジェクトを1週間で完成させるように、上司から命じられました。週末の予定をキャンセルし、何日か徹夜して、金曜日の締切りに何とか間に合わせました。すると土曜の朝、上司がこう言います。「ページ番号が抜けていたよ。これでは、何ページを読んでいるか分からないじゃないか。次からは気を付けるように」。こんな風に言われたら、嫌な気になりますよね。

この上司のどこが悪かったのでしょうか。よくないところにだけ目を向けたことでしょうか。よい部分に目を向ければ、感謝と評価ができたのだと思います。また、小さなミスを受容できたはずです。

悪いところだけに目を向けるのではなく、よいところに感謝する。上司は、そうすべきだったのです。

でも、上司だけでなく、自分も同じようにできたらどうでしょうか。感謝の一言もなく、小言を言われる。それは悪い出来事です。でも、自分には、そそっかしい面がある。仕事を終えたら、あるいは仕事の途中で、ミスがないかを確認しよう。そうした習慣につながれば、この小言が自分にプラスになります。このように割り切るのは簡単なことではありませんが、やってみると少し気が楽になります(笑)。

③本当に悪いのか自問する

他人の言動が不快だ。たしかに、相手の考えることも偏向しているかもしれません。でも、自分のコンプレックスが原因になっている。そんな場合もあるかもしれません。

先ず、コンプレックスの存在を自我が意識していないが、コンプレックスの働きが自我に及んでいる場合は、感情のゆれとして経験され、外からも観察することができる。何か解らないが、いらいらする、あるいは気分が沈んで仕方がない、などというときである。この情緒の不安定さは本人も感じるし、他人にも解るが、それがどのようなコンプレックスと関連しているかは、本人に解らぬときが多い。

あるいは、本人には一応知的には解っているが、さりとてコンプレックスの力は弱まっていないというときがある。たとえば、「僕はスポーツには劣等感が強くて」などと口では言っているが、実際には皆でスポーツをしようとすると感情的に反発したり、不機嫌になったりするような場合である。このように知的な理解をするということは、せめて知的に「知っている」ということで、少しはコンプレックスの力を弱めたり、制限したりすることができるという面と、問題を知性化することによって、コンプレックスの本質と対決することから逃げているという面と、両面性があると思われる。・・・・・・・

コンプレックスは、新しい仕事を遂行するためのいとぐちともなろうとユングはのべている。ともすれば小さく固まろうとする自我に対して、コンプレックスという発展のいとぐち(苦難でもある)をつきつけ、自我がより高次の統合性を志向してゆくようにするプロモーター、それが自己なのである。

-河合隼雄「コンプレックス」より

コンプレックスの問題は、対人関係にも微妙に入り込んでくることがあるそうです。そのままにしておくと、意外なところで問題が顕在化するかもしれません。自分にとって不快な他人の言動は、コンプレックスを解消するきっかけを与えてくれたのかもしれません。気づきのきっかけを与えてくれたのかもしれません。

④今は悪いと思えることが、将来はそうではないかもしれない。

私たちの心は、快いものを良いものと誤解してしまうそうです。実際には、短期的には心地よいものが、長期的には害になることも多い。その逆も同様です。失敗と思えることが、成長の種になることも少なくありません。

感想

人間は、だれしも不完全な存在。偏向バリバリです(笑)。そういう生き物。そう考えると、確かに受容しやすくなります。

ただし、感情まで押さえつける必要はないのではないでしょうか。ときに言い返すのも仕方ないと思います。ただ、相手の自尊心を傷つけるようなことは言わない方がいいですね。また、失敗も必ず成功の種になると思います。

参考:
Amit Sood, HD, MD 「Immerse: A 52-Week Course in Resilient Living」
Amit Sood, M.D. 「The Mayo Clinic Handbook for Happiness」
河合隼雄 「コンプレックス」


hidenorin
翻訳者。早稲田大学商学部卒業。名城大学大学院法務研究科(法学既修者コース)2016年修了。 全国珠算教育連盟珠算検定試験1級。TOEIC940。 趣味は読書、水泳、写真撮影です。

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